祠に住む蛇姫のもとに足繁く通う竜神がいました。
 その年も春の日差しが大地を温め始めると冬の眠りから目を覚ました竜神は早速、風を興し木々を踏みつけて、川に沿い下って来ました。竜神は鶴見川の源に住んでいたのです。竜神が来る頃になると山も野もゴウゴウと唸り家々はなぎたおされて村人たちはたいそう困ってしまいました。思い余って、あるとき蛇姫に
「竜神を、なんとか来させないようにしてください。」と、頼みました。
 すると、蛇姫は白い顔を更に白くし、目を赤く泣きはらしながら
「私がこの姿を隠しても竜神はすぐに探してしまうでしょう。私には手も足もないのでどうすることも出来ません。唯一つの方法は、近くの街道を琵琶持った法師が通ります。その法師は昔からの事柄をよく知っている物知りですから、きっと良い知恵を授けてくれるでしょう。」
 と、いいました。
 まもなくのことです。趣の深い琵琶の音色を奏でながら、年老いた法師が村の街道を通りかかりました。村人たちは竜神の悪戯や乱暴を説明して、蛇姫の言葉を口々に訴えてお願いしました。
 法師は暫く琵琶を鳴らしながら謡いの様な音曲を奏でた後でいいました。
「私が般若心経をとなえているあいだ、竜神はおとなしくしているでしょう。でも、般若心経を来る日も来る日も唱え続けることは出来ますまい。いつまでもおとなしくさせるためには皆の力を借りなければなりません。」
 幾日かして法師は、琵琶の糸を張る弦巻を削って五本の木釘を作りました。
「私がお経を唱え、竜神がおとなしくしている間に、あなた達はこの釘を使い、手足尾の五カ所を打ち付けて動けないようにしなさい。首や頭に打ち付ければ、竜神は死にはするがその怨念は更に大きな災害をもたらすでしょう。」
 村人たちは、いくら憎い竜神でも怨念に取り付かれたのでは困るので、法師の言われた通りにすることになりました。
 すなわち、蛇姫の祠の前で法師が般若心経を唱え始めると、竜神は傍らの大きな杉の木に絡みついて、目をつむりじっと聞き入っています。村人は恐る恐る近づくと、その手、その足、その尾に釘を刺し、スキ、クワ、カマを使って杉の木の幹に打ち付けたのでした。
 やがてお経が終わると、竜神は目を明けましたが身動きが出来ません。暴れもがこうとしても杉の大木は枯れ葉の一つも落としませんでした。
 悔しくて、辛くて、悲しくて、竜神がおいおい泣き出すと、空は曇り風が吹き荒れ、涙は滝のような雨となって大地を叩き付けました。そんな日が三日と三晩続くと、さしもの村人たちも困り果てて、又々蛇姫にお願いに行きました。
 蛇姫は祠の中から涼やかな声で答えていいました。
「もう懲らしめはこのくらいにして堪忍しておあげなさいナ、我、蛇といえども長からず短からずは心得ています。」
 村人たちに手、足、尾の釘を抜かれると、竜神はほうほうのていで満水となった鶴見川を遡り帰って行きました。
 渇ききった春風のあとを、たくさんの雨に潤された耕地はその年、大変な豊作となりました。
 こうして、この国の人達は春になるとスキ、クワ、カマ、太鼓なども打ち鳴らして野や田畑に出て行き、豊かな恵みの年を迎えるようになったのでした。

平成14年2月5日
蛇幸都神社委員会物語会


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